【世界遺産】ナポリから古代ローマのタイムカプセル、ポンペイへ
2020年 09月 02日
これもカンパーニア州の土着品種アリアニコ(赤)。2000年前にギリシャ人がカンパーニアに持ち込んだ品種だそうです。
ウヴァ・エレニカ(ギリシャのブドウという意味)とも呼ばれていて、スペインに支配された時代にエレニカがスペイン風の発音になり、アリアニコになったそうです。扱いが難しいぶどう品種のようで、アリアニコのワインは造り手によって当たり外れがあるような気がします。
ウヴァ・エレニカ(ギリシャのブドウという意味)とも呼ばれていて、スペインに支配された時代にエレニカがスペイン風の発音になり、アリアニコになったそうです。扱いが難しいぶどう品種のようで、アリアニコのワインは造り手によって当たり外れがあるような気がします。
リモンチェッロ。
朝食の時には、他のお客さんはすべてチェックアウト済みでした。車が混まないうちにナポリの町を脱出したかったのでしょう。これから、ナポリの郊外、世界遺産ポンペイへ向かいます。
ヴェスヴィオ火山が見えてきました。ポンペイは、約1900年前のヴェスヴィオ火山の大噴火での火砕流によって一瞬にして完全に地中に埋もれた古代都市です。1748年にポンペイが再発見され、建造物の完全な形や当時の壁画を明らかにするために掘が始まり、現在も発掘は続けられているそうです。古代ローマの都市と人々の生活ぶりをほぼ完全な姿で今に伝える貴重な遺跡で、世界遺産に登録されています。
ポンペイは、古代ローマの伝統を守り、ほぼ直角に交差する直線の大通りによって規則的に区切られ、計画的に設計された町だったそうです。
馬車は進入禁止、という石が置かれています。
現代のバールのように立ったまま飲食できるカウンターが町の中に沢山ありました。壷の「レジ」の中に、手つかずの状態で682セステルス(古代ローマの貨幣単位)が入っていたそうです。カウンターの穴にはワインや料理などを入れていたようです。火砕流の速度は時速 100km以上、一瞬にして5 メートルの深さに町全体を飲み込んだ火砕流が、当時の人々の生活をそのままの状態で保存しました。
ポンペイとその周辺の別荘からは多数の壁画が発掘され、古代ローマの絵画を知る上で重要な作品群となっています。ポンペイの人々を襲った火砕流堆積物には乾燥剤として用いられるシリカゲルに似た成分が含まれていたため、湿気を吸収し、町全体を隙間なく埋め尽くしたため、壁画や美術品の劣化が最小限に食い止められたそうです。絵具として使われた壁に残る深紅の色合いはいまだに鮮明で、この独特で赤茶けた色調の赤色は、「ポンペイの赤」と呼ばれています。
大理石のモザイク床のある邸宅跡。ポンペイは、裕福なローマ市民が住む商業都市だったそうです。
ポンペイを壊滅させたヴェスヴィオ火山を背景にしたポンペイの町。遺跡から見る雄大なヴェズビオ火山はとても美しく、ポンペイを滅ぼしたことが皮肉に思えてきます。
遺跡には、ところどころブロンド像が残っています。
座ったまま埋もれた人。手で口を覆って灰を吸わないように呼吸をしていたのでしょうか?
発掘されたときには遺体部分だけが腐ってなくなり、火山灰の中に空洞ができていました。考古学者たちはここに石膏流し込み、ポンペイの人々が死んだときの形を再現しました。
悲劇詩人の家の入口には、白と黒のモザイクで鎖につながれた犬が描かれ、下には「猛犬に注意!」と書かれているそうです。
可愛い!
ポンペイの悲劇が皮肉にも古代ローマ帝国の栄華を今に伝える貴重な資料になっています。
大きさはこのくらい。
最も素晴らしい状態で保存された遺跡のひとつとして、当時使われていた設備が完全に保存されていたパン屋。2つの溶岩石でできた挽き臼、パンをこねる台、焼き釜からは81個の炭化したパンも発見されたそうです。発掘された排泄物や骨の調査から、身分によって食事の内容が違う事はなく、皆健康的な食生活を送っていたそうです。
整備された上下水道の水道の弁は、水の量を調節する仕組みが現在とほとんど変わらず、きれいな水を町中に送っていました。
市民が残した落書き(ツイッターのような役割があったそうです)。ポンペイの人口は1万人以上と推定されているようですが、壁画、バール、浴場などから市民たちの贅沢で享楽的な暮らしぶりが感じられました。
円形闘技場の外観。
ポンペイ遺跡の最大の見どころ、と言われている秘儀荘は、前回訪問時に見たので、先を急ぎます。
by Laviequotidienne | 2020-09-02 15:00 | イタリア