【世界遺産】孤高で壮麗なゴシックの大聖堂、ブールジュのサン・テティエンヌ(Cathedrale Saint-Etienne)へ

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以前ライトアップの美しい姿を見て、再訪したかったブールジュの大聖堂に向かいます。オルレアンを通り過ぎます。
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パリ天文台付属の電波観測所があるナンセの町。
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ベリー地方の看板。フランスのほぼ中央に位置するブールジュは、かつて「ベリー公のいとも美しき時祷書(Les Tres Riches Heures du Duc de Berry)」のベリー公国の中心都市として芸術と文化の栄えた美しい町です 。紀元前10世紀にはケルト族の祖先が住んでいたこの地は、紀元前52年に攻め入っててきたシーザーをして「ガリア(古代ローマ時代の現在のフランスの一帯)で一番美しい」と言わしめたそうです。
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イエーヴル川やシェール川など5つの河川の交差路にあり、ベリー運河が横切る町、ヴィエルゾン。
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サンセールのブドウ畑。
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ブールジュのジャック・クールの宮殿。
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ブールジュの町に入ります。
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フライボワイヤンゴシック様式のジャック・クールの宮殿。ゴシック様式の民間建築としても最も豪華なものだそうです。
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宮殿の前のレストランでディナー。
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Domaine Reverdy Ducrouxのサンセール・シレックス。
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Chateau de Maupasカンシー(Quincy)

カンシーは、フランス最長のロワール川から少し離れたエリア、ブルージュ町の西側,シェール川左岸に広がる畑のソーヴィニヨン・ブラン種から作られる辛口の白ワインです。カンシーの歴史は古く、12世紀にはシトー派の修道院で上質なワインが製造され、14世紀のアンリ4世の時代に宮廷御用達となり、多くの国民から愛されるワインへと成長していったそうです。

1936年にはA.O.C.を取得(アペラシオン発祥の地・シャトーヌフ・デュ・パプに次ぐフランスで2番目という早さ)。そのような背景からか、カンシーで生産されるワインの8割を国内で消費し、残った2割が輸出用となっているそうです。日本では知名度が低いですが、古くから品質・味わい共にフランス全土で認められているワインだそう。

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華やかだった中世の面影は旧市街のいたるところに色濃く残っています。
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ブールジュは古代ローマの時代から栄えてきた町(古代ローマ時代にはアウァリクムという都市で、ここにはガリア発のキリスト教団ができたことでも有名)で、3世紀には、ブールジュ大聖堂の前身ともいえる教会が建てられおり、司教座も置かれていました。
旧市街を歩いていると、木骨造りの建物も見かけます。今も400軒以上残っているそうです。
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角を曲がると、ブールジュの大聖堂が見えてきました。
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西側にある正面入口
世界遺産には「ブールジュ大聖堂」の名称で登録されていますが、正式には「ブールジュのサンテティエンヌ大聖堂」(Cathédrale Saint-Etienne de Bourges)と呼ばれる司教座聖堂です。大聖堂がより美しく見えるという夕暮れ時。

大聖堂は5つの入口を持ち、奥行約124m、幅は約41mとフランスでも最大級です。
フランス中部に位置するブールジュは、14~15世紀に芸術都市として繁栄しました。
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多様な建築様式が混在する外観は、幾度となく繰り返された修復がもたらしたものです。大聖堂の前身となるガリア初のキリスト教団がアウァリクムの城壁に建てた教会堂が建てられたのは3世紀頃。11世紀にロマネスク様式の聖堂として建築されましたが,12~13世紀にゴシック様式に改築されたそうです。


12世紀末にロマネスク様式であった聖堂をゴシック式の大聖堂に改修し、身廊やファサードを整える。
14世紀初頭には南塔が傾き、控え壁で補強。
やがて北塔が完成するが、1506年に早くも崩壊。以後はルネサンス様式で再建。
1562年のユグノー戦争(フランスのカトリックとプロテスタントが休戦を挟んで8次40年近くにわたり戦った内戦)時には、ブールジュがプロテスタント勢力の手に落ちたため、内陣とファサードの彫刻など破壊
19世紀にはゴシック様式の尖塔が設置され、現在の姿に至る。

上記のように工事の不備、戦争による修繕・改築などの修復のたびに多様な時代様式が混在していきました。
正面入口の最後の審判は、ゴシック彫刻の傑作、ルネサンス様式の北塔、周囲の庭園など、様々な時代に様々な修復工事を重ねたため、建築様式が入り混じった姿となりました。

大聖堂は波乱に満ちた歴史から複雑で統一感のない外観になりましたが、そのアンバランスさが大きな魅力となり、1つの教会で長い歴史、建築様式の推移が見られるというのは、大変興味深いです。
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五つの扉口(ポルタイユ)が並ぶブールジュ大聖堂の広大な西正面ファッサードは壮観という言葉でも表現出来ません。左右にあるそれぞれ2つの入口は、側廊へとつながる扉です(側廊が左右に2本ずつあるわけです)。シャルトル、ストラスブールなど他のゴシックの大聖堂とはまったく違うユニークさがあります。高さ37m、奥行き141m、幅47mのゴシック様式の建築(フランス国内最大)は偉容と言うにふさわしい。ブールジュ大聖堂前の広場は非常に狭く、残念ながら全体の写真が撮れません。ちなみにベリー公のいとも美しき時祷書の中の大聖堂は、扉口は3つです。

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1562年にはブールジュがプロテスタントの手に落ちたため、大聖堂の彫刻がかなり傷つけられたそうです。
左から「建築家聖ギョームの生涯」「聖母マリアの生涯」
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13世紀のゴシック彫刻の傑作「最後の審判」。
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中央扉口の右隣が「聖エティエンヌの生涯」右端が「聖ユルザンの生涯」です。
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「聖エティエンヌの生涯」
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中央扉口のゴシックの傑作「最後の審判」のタンパンは、13世紀そのままのほぼ完全な姿だそうです。
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最後の審判のキリスト
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魂の重さを量る大天使ミカエル
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最後の審判の右側。地獄に堕ちる者達。悪魔によって地獄の釜へと追い立てられています。
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最後の審判の左側は、選ばれた者達。


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フライング・バットレス(建築物の外壁の補強のため、屋外に張り出す形で設置される柱状の部分)
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14世紀に入ると南塔が傾き、脇を巨大な控壁で補強しました。補強された控壁が独特です。
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再建された北塔。16世紀に北塔が倒壊したので、ルネサンス様式で再建されました。南塔と建築様式がかなり違います。この塔はかつて「バターの塔」とも呼ばれていました。司教は、塔の再建のために四旬節の断食の期間中でもバターを食べられる権利を売って、資金を集めたそうです。

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明朝は内部を観光します。


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by Laviequotidienne | 2016-07-09 23:52 | ゴシック教会  

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